2005'09.26.Mon
「頬当御門(ほほあてごもん)」
西の方角を正面として建てられた熊本城。ここが正門になります。
頬当てとは、甲冑を着用するとき顔にあてる防具のことです。城郭の顔とも言うべき本丸正面を、そのように呼んだと思われます。
甲冑を纏った若者が、門前で出迎えてくれます。
「櫨方門(はぜかたもん)」
加藤神社の鳥居のところに、旧藩時代に櫨方会所という役所がありました。その役所の入口にあった門を移築したものです。名前はそのまま櫨方門と呼ばれました。
形式は長屋門です。
「須戸口門(すどぐちもん)」
熊本城の東側、坪井川にかかる厩橋(うまやばし)を渡り左手にあります。
戦闘時、鉄砲でうったり槍で突いたりすることのできるように、門そのものに、柵のようにすき間をあけていることで、須戸口門と呼ばれました。
「北大手門(きたおおてもん)」
加藤神社の北側になります。
北の守りの要です。ここから直角に曲がりくねった道がお城へと続いています。敵が侵入したとき、スピードを緩めさせるためであると思われます。
西の方角を正面として建てられた熊本城。ここが正門になります。
頬当てとは、甲冑を着用するとき顔にあてる防具のことです。城郭の顔とも言うべき本丸正面を、そのように呼んだと思われます。
甲冑を纏った若者が、門前で出迎えてくれます。
「櫨方門(はぜかたもん)」
加藤神社の鳥居のところに、旧藩時代に櫨方会所という役所がありました。その役所の入口にあった門を移築したものです。名前はそのまま櫨方門と呼ばれました。
形式は長屋門です。
「須戸口門(すどぐちもん)」
熊本城の東側、坪井川にかかる厩橋(うまやばし)を渡り左手にあります。
戦闘時、鉄砲でうったり槍で突いたりすることのできるように、門そのものに、柵のようにすき間をあけていることで、須戸口門と呼ばれました。
「北大手門(きたおおてもん)」
加藤神社の北側になります。
北の守りの要です。ここから直角に曲がりくねった道がお城へと続いています。敵が侵入したとき、スピードを緩めさせるためであると思われます。
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